体にこたえる暑さが続き、だるい、食欲がない、腹痛や頭痛といった体の不調を感じている人も多そうだ。症状そのものに薬などで対処する西洋医学に対し、全身を整えて根本的な改善を目指すのが漢方だ。詳しく知らない人はこの夏、自由研究気分で調べてみるのもいい。
漢方は中国に起源を持つ日本の伝統医学で、日本の気候風土や日本人の体質に合わせて発展した。江戸時代に確立したが、明治時代に入ると西洋医学が重要視されたために衰退。その後、西洋医学に偏った治療に懸念を抱いた医師たちが漢方と調和させる方法を考え始め、徐々に復活した。
日本東洋医学会によると、2007年からほぼ全国の大学の医学部で漢方医学教育が行われている。また、日本漢方生薬製剤協会が11年に実施した漢方薬処方実態調査によれば、医師全体の約9割が治療において漢方薬を処方していると回答。漢方は私たちにとって身近な存在と言える。
北里大学東洋医学総合研究所(東京都港区)の施設内にある東洋医学資料展示室。中国で3000年、日本で1500年に及ぶ東洋医学の歴史を解説したパネル、関連する古医書や巻物などがずらりと並ぶ。展示室の外にも、漢方薬の原材料になる貴重な生薬標本や鍼灸(しんきゅう)の資料があり、独自の治療法が連綿と受け継がれてきたことが分かる。
生薬は全て天然物で、植物の果実、根、種子、葉などのほか、キノコ類、貝殻を含む鉱物、動物など。長い歴史の中で効能が認められた生薬を、煎じたり、成分を抽出した液を粉末に加工したりして漢方薬にする。
標本の中には、今では手に入らないような貴重な物も。例えば穿山甲(せんざんこう)は、爬虫(はちゅう)類のようなうろこで全身が覆われている珍しい哺乳類で、このうろこが生薬の原料とされ、密猟が絶えない。ワシントン条約で保護の対象となっており、現在は国内外での取引が禁止されている。ぜひ実物を見に行ってほしい。
「漢方は、自己治癒力を助けるという考え方」と説くのは、同大漢方鍼灸治療センターの星野卓之センター長だ。西洋医学で手を尽くしても改善しなかった患者の来院が多いという同センター。患者は「早く治したい」という思いで、積極的に治療に取り組んでくれる。星野センター長は「自分で調べて漢方薬を購入してくることもある。漢方は患者のものだなと感じる」。そんな時、効能について詳しく聞かれたら、その患者の体質を含めて話をする必要がある。対話して改善の道を一緒に探る。漢方においては、医者は症状改善をサポートする場を提供する役割のようだ。
医療用と一般用医薬品を製造販売するツムラ(東京都港区)は、茨城工場敷地内にあるツムラ漢方記念館を報道陣に公開した。
館内には漢方に関する歴史的な書物はもちろん、生薬を実際に見て触ったり、においを嗅いだりできる展示コーナーも。婦人科系の症状に使われる漢方薬に配合され、血行を良くする効果を持つ「当帰」の根を嗅いでみると、鼻の奥がつんとするような独特なにおい。「漢方薬だな」と実感する。
同社の医療用漢方薬で使われる原料の生薬119種のうち、116種がガラスケースに入れられ整然と並ぶコーナーには、代表的な種だけでなく毒物として知られる種も。自然界に自生している物は、使い方で毒にも薬にもなることがよく分かる。
残念ながら、現在は一般公開されていないが、同社のサイト上でバーチャル入館できる。製造工程や品質管理へのこだわりが学べるほか、薬草見本園のページでは代表的な生薬が紹介されている。
ツムラは2022年から、夏休み期間に子ども向けのオンライン見学会を開催している。今年の見学会に潜入してみた。
クイズを交えながら、漢方の歴史や漢方薬などについて解説が進む。「ヘビやタツノオトシゴも漢方薬か」「中国の薬か」などと問われると、大人も間違えてしまいそうだ。
質問コーナーでは、鋭い指摘や疑問が続々と寄せられ、答える役の「人参(にんじん)先生」はたじたじ。「なぜ漢方薬は粉末状が多いのか。錠剤にできないの?」には「一度に飲む量が多いので、錠剤にするとたくさんの数の薬を飲まなくてはならなくなる」と回答。それを避けるため、ツムラは粉末よりも粒が大きい顆粒(かりゅう)を作っている。確かに、苦味や癖のあるにおいなどは粉末や顆粒だと感じやすい。
また「漢方薬でも、飲み続けると副作用が起きるのか?」には「漢方薬も薬。長期間飲み続けたり、処方が適切でなかったりといった場合、副作用のような体調変化が起こることがある。定期的に医師や薬剤師に相談し、少しでも気になる症状が見られたときは確認してほしい」と呼び掛けた。
北里大の星野センター長も「漢方薬が広く周知され始めているが、薬だけが漢方ではない」と話す。はり、きゅう、体操療法である導引、食事をはじめとする生活面のアドバイスなどを含めた全体が漢方という考え方だ。
病気の捉え方も、西洋医学のように不調の原因を臓器や組織、遺伝子などを個別に検査して探るのではなく、全体を見てアプローチする。「例えば副鼻腔(びくう)炎という診断に対して、冷え性なのか熱がこもりやすいのかといった、患者の体質全てを踏まえて治療する。そのため、同じ病名・症状でも、患者によって処方が変わる」(星野センター長)。個々人の体質や生活に合わせたケアを行うための、いわば「オーダーメード医療」で、慢性期の患者に対して、おのずと治療の精度は上がるという。
漢方では、体を構成する要素を「気・血(けつ)・水(すい)」などに分けて考え、これらが関わり合いながらバランスを保つことで体調を整えているとされる。気はエネルギー、血は全身に栄養を運ぶ血液、水は血液以外の水分を指す。全てが過不足なく満たされ、循環している状態が健康。何らかの原因でバランスが崩れると、不調になる。
漢方薬の処方だけでなく、食事や生活を整える指導なども含んだ全身のサポートをするという漢方の考え方は、西洋医学の社会からも注目され始めている。世界保健機関(WHO)は2019年、国際疾病分類に、伝統医学に関する章を初めて盛り込んだ第11回改訂版を正式に承認した。近年はインド伝統医学「アーユルベーダ」も注目されているという。
一方、既存の生薬が持つ従来の効能に、別の可能性を見いだす研究も進んでいる。主成分に「エフェドリン」を含む、有名な生薬の一つ「麻黄」には発汗作用、鎮咳(ちんがい)作用などがあり、風邪の引き始めなどに処方される葛根湯や麻黄附子細辛湯(まおうぶしさいしんとう)といった漢方薬に用いられる。ただ、血圧の上昇や動悸(どうき)、排尿障害などが起こる場合もあることから、高齢者や高血圧、心臓病がある人などには注意が必要だ。
この麻黄ががん細胞の抑制に効果があるという研究成果が発表され、体力が低下しているがん患者に処方できるよう、エフェドリンを除去した薬の開発が進められている。
星野センター長は「西洋医学のがん治療では、免疫力が落ちることが多い。漢方薬なら、がんそのものだけでなく痛みにも効き、また風邪の予防もできる」と力を込める。そして「一つの生薬には複数の成分が含まれているため、含有する化学成分を網羅的に解析し、客観性を担保しようと努めている。天然物は、いろいろな可能性を秘めていて、無限の解析ができると思う」と語る。(時事通信・柴崎裕加)